No.B-112 ~”taker”と"giver”人間の生き方を考える~

画像  世の中には、taker(人からエネルギーや元気を奪い取る人)とgiver(人にエネルギーや元気を与える人)とがあると言われている。根っからのtakerやgiverもいるかもしれないが、たいていは同一人物がtakerになったりgiverになったり一日に何回も輪廻転生を繰り返しているのではないだろうか。
  近所の人格者で通っている紳士が朝、近所のひとに満面の笑みで評判通りの挨拶をして仕事に出かけ、通勤途中の電車の中でピカピカの靴をいきなり汚い靴で踏みつけられ、知らん顔されたたら、おもわず「何しやがるッ」と怒りをあらわにすることもあるかもしれない。 さっきまでgiverだった紳士が十分後には鬼の形相をしたtakerにもなりうるのである。 しかし、この人は基本的にはtakerが本質である。 ということは、giverのふりをしたtakerがほとんどで、giverは少数派であるが、自分の周りを見回すとほんとに心根の優しいgiver は意外と多いものである。
  giverの人たちは自分でそのことを意識していないが、特別能力やスキルが無くても、存在するだけで世の中の為になっている人たちである。 たとえ“良い人、即ちどうでもいい人”と言われようが、その人たちは世の中を明るくし、人々を勇気づけ、善を広める有益な人びとである。
  世の中で、どんな学問を積み重ねようと敵わない問題解決能力を持っている人がいる、それは精神の透明な人、即ち徳の高い人である。 この精神の透明な徳の高い人、換言すれば精神のレベルの高い人はリーダーに最適であり、この範疇にはいる人も当然giverに分類される。 では、世の中にたくさんいるgiver と精神の透明なgiverとの差はどこにあるかといえば、前者は観念が善で構成されていて、いわば“白”であるのに対し、後者は物事を観念で捉えず本質を見抜く慧眼を持ち、白ではなく“透明”とたとえることが出来るのではないだろうか。
  人に迷惑をかける者や、鈍感、意地悪な人間などはtakerといい、その人の地位や立場に関係なく存在する。
しかし、だからと言ってその人たちが必ずしも有害とか、ひとに迷惑をかけているという意味ではない。一生懸命人の役に立ちたい、親切な人と思われたいと願っていてもtakerであることも多い。
  私は、このような観点から、giverになろうとも思わないし、giverを演じようとも思わない。その人間の生き様次第で、本音で人と接すれば人と意見が異なることもありtakerとなることもある、その時意見が違うからと言って人を敵視したりはしないことにしている。意見が違うだけで人から嫌われることもある、その時は去る者は追わずである。私は、白い心を目指すのではなく、少しでも心を透明にする努力を続けたいと思う。
  精神の透明さは、いくら家内に説明しても理解してもらえない。人間にとって永遠のテーマなのかもしれないし、わたしの単なる思い込みかもしれない、しかしそれでも“限りなく透明な精神”を信じたい。

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