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zoom RSS 〜負けるべくして負けたマリアナ沖海戦その二〜

<<   作成日時 : 2016/06/25 14:44   >>

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画像  毎年6月になるとこの月に行われた太平洋戦争の歴史的な二つの戦闘のことを思い出す。一つは昭和17年6月5日から7日にかけてアメリカのほぼ倍の戦力で戦いながら正規空母4隻を失うという壊滅的な惨敗を喫したミッドウエー海戦と昭和19年6月19日と20日にかけて帝国海軍のすべての航空戦力を賭してアメリカに挑んだ最後の決戦であるマリアナ沖海戦である。特に、マリアナ沖海戦は事実上日本の海軍機動部隊の壊滅、明治以来の連合艦隊の消滅を意味し、日本の敗戦が確定的となった戦いであったと言えよう。どうしても、日本の限界が現れたマリアナ沖海戦に対する感想を追加して留めておきたいと思い記す。
  アメリカは、日本本土の本格的戦略爆撃のため前年から実戦配備した戦略爆撃機B29の基地を確保するために、空母15隻をふくむ600隻の大軍でマリアナ諸島の攻略を仕掛けた。日本は、この機に米主力艦隊に決戦を挑み、撃滅し最後の講和を機会にしようとした。日本の指揮官は猛将小沢冶三郎中将、アメリカ側はミッドウエー海戦で抜擢され日本海軍に壊滅的打撃を与え、いまや大将に昇進している第五艦隊司令官レイモンド.A.スプルーアンスであった。日本が採った作戦は、日本の航空機の軽さ故の航続力を生かしたアウトレンジ戦法であった。アメリカの戦闘機や雷撃機の行動範囲外から日本の攻撃機を発進させ、日本の艦船を無傷のまま敵を撃滅するつもりだったが、そうは問屋が卸さなかったのである。攻撃機はほぼ全部攻撃もままならず撃墜されるか帰投できず、アメリカの追撃を受け空母3隻撃沈されわずかに残っていた艦載機パイロット大部分を失い再起不能の打撃を受けたのである。
  マリアナ沖海戦では、ミッドウエーとは逆に日米彼我の戦力は日本作戦機450機に対し米900機以上、空母は前述のとおりの9隻対米の15隻その他の作戦艦船は比較にならないほどであった。空母発艦がやっとの未熟パイロットが長躯米機動部隊との作戦空域に到着したころは戦闘どころではないほど疲労しており、アメリカはは精密なレーダで150浬も先から日本の攻撃隊を探知し、グラマンF6Fヘルキャットが高高度で伏せして七面鳥を撃ち落とすような容易さでほとんどの日本攻撃隊は撃墜され、撃ち漏らされた攻撃機が敵艦船に近付けばVT近接信管対空砲弾によってほとんど撃ち落され。この海戦で日本は359機を失い、アメリカの損失は17機すぎず、さらに日本は空母3隻を失い、以後連合艦隊は機動部隊の運用は不可能となり、爾後のレイテ沖海戦からは絶望的な神風特別攻撃隊という作戦の外道に頼ることになったことは前回でもふれたが、なぜそこまで日本は無能だったのだろうか。まず考えられるのは、
日米の余りにもの科学技術の差
日本に資源や物量において米国に劣後するなら、徹底して科学や技術において米国を凌駕する必要があるのも拘わらず、米国のVT信管の存在を戦後まで知らず、戦闘指揮管制や僚機相互間の通信技術が米国は無線電話であるのに日本は電鍵であったり身振り手振りと言うお粗末さ、レーダーでは米国はPPI(Plan Position Indicator)の実用化に加え、高度まで探知していたのに対し日本はレーダーの実用段階さえ至っていなかった。戦闘機は日本が1000馬力前後に対し米国は2000馬力もあった。しかも、ゼロ戦とグラマンF6Fでは時速100kmの差があり、燃料タンク防弾・パイロット装甲においてグラマンに比べゼロ戦は裸同然であった。B29や原爆を見てもアメリカと日本の科学技術の差は歴然である。
日米の余りにもの生産力の差
米国の兵器の生産能力は日本の十倍以上はあったが、具体的に一例として空母で比較すると、開戦時の空母運用数は米国より多い日本8隻に対し米国6隻であったが、マリアナ沖海戦時は日本9、米国21、敗戦時は日本3、米国27。喪失は日本延べ19隻のうち16隻、米国は延べ32隻のうちたった5隻、即ち敗戦時には日本空母3に対し米国27と9倍、艦載機運用可能数は日本129機に対し米国は1946機と15倍の差があった。ふつうの感覚感性の持ち主なら、こんな状態が分かっていたならばアメリカとの戦争は無意味な戦争だと判断するだろう。また、国家総動員をかけながら軍産学共同で軍事技術開発研究に取り組んだ形跡もない。何かと言えば「気力に欠くる無かりしか」、「生きて虜囚の辱めを受けるな、死ぬまで戦え」と精神論で何とかなると考えていた。
日米の余りにもの指揮官の能力の差と権威主義
米国の戦前の日本軍に対する評価として、下士官は世界一優秀だが指揮官は無能だった言われたそうである。
日本の海軍は、海兵出身以外は無能だという暗黙の諒解と自惚れがあり、将校とは兵科出身の士官を指す。海軍機関科、主計課は士官でもあっても兵卒を指揮する将校としては見做されず一段低く見られていた。そのため技術系士官なども軽視されていたことは、日本軍が大きく科学技術の面で米国の背中が見えないほど遅れた理由の一つでもある。マリアナ沖海戦で指揮を執ったスプルーアンス大将は、ミッドウエー海戦でハルゼー提督の急病のピンチヒッターとして無名の少将の中から二十人以上の序列を飛び越えてハルゼーが推薦したという。日本では序列を飛び越えることは秩序を乱すことと考え絶対にありえない。無能で航空には門外漢の南雲中将が、本来一航艦(第一航空艦隊)の提唱者であり、しかも適任者でもある小沢提督よりも半年中将として先任だったため一航艦の司令官となり真珠湾やミッドウエーで失策を繰り返し日本敗戦に大きく貢献したことには異論の余地がない。何事も陸士・海兵・陸海大の期とハンモックナンバー(卒業時の成績順位)でキャリアーがすべて決まる日本軍のエリートは、士官学校と記憶力だけで権威と能力を認められてきたのである。その参謀たるや教科書エリートにすぎず、米軍から見ればまるで教科書通りの作戦しか採らず、実に手の内が分かりやすかったという。
  「敵を知らず、己を知らざれば戦う毎に危うし」とは呉の孫子の言葉であるが、アメリカの戦力、アメリカの兵器の進歩も知らず、情報収集も情報伝達手段も一周遅れでアメリカに遅れ、科学技術の差と指揮官の無能とが相俟って日本は負けるべくして負けた。しかし現代の自衛隊の装備や兵力はアメリカの同盟国として改善されてはいようが、指揮官能力とその登用となると、現代の自衛隊も防衛大出身者が陸士海兵にとって代わり、陸大・海大が各幕僚監部の指揮幕課程となり上級指揮官幕僚となる権威主義は戦前と変わるところがないところに些か危惧を覚える。過去の歴史を将来の国防に生かすことが戦史の本来の意義ではないだろうか。マリアナ沖海戦で見る限り、物量以前に米国は進んだ科学技術に加えcommand control communication computer-intelligenceの4Cさえもすでに太平洋戦争で取り入れており、資源物量がなくてもできることさえ日本は疎かにしていたのである。これでは勝てる道理がない。志願兵は気の毒にも仕方がないが、この無謀な戦争と無能な日本軍指揮官に戦いを強制され、付き合わされた応召一般兵の犠牲者が気の毒でならないという思いが常に付きまとう。
  因みに南雲中将はサイパン島に基地司令官として転属させられ、米軍マリアナ攻略で玉砕させられたが、小沢中将は戦後まで生き延びた。マリアナ沖海戦の負けに小沢中将の失策はない。あったのは精神年齢12歳とマッカーサーに言われた日本という国の未熟さだった。

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