JH4SEHのシャック

アクセスカウンタ

zoom RSS 〜武士道精神と切腹の文化〜

<<   作成日時 : 2016/09/11 17:40   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

画像   国際人とは外国語を流暢に操ることではなく、自分の国の歴史や文化を語ることの出来る人であると言われることがある。必ずしも外国語でそれ等を語れということではなく、英語が堪能でない我々でも国際人になれるということに救われる思いがする。私が参加する英語研修会でも外人講師のために、日本の文化をテーマに話題になることが多く、最近では次回研修会に向けて武士道と切腹について考えてみた。
  武士道とは、武士階級の道徳規範であり。儒教精神を基にして、その起源は鎌倉時代に発し、江戸時代に完成したものであると言われている。武士道は、「義、勇、仁、礼、誠(信)、忍(克己)、誉、忠」などの徳目が強調されているが、これ等は東洋的な概念なので、網羅して英語にしやすく言い換えれば「忠誠心、尚武、自己犠牲、信義、廉恥、礼儀、潔白、名誉、情、弱者へ慈愛」などとなり、西洋の騎士道精神に相通じる部分が多いことに気が付く。しかし、武士道が主君に奉じ忠誠を誓うのに対し、騎士道は信仰と教会に服従を、そして国家に忠誠を誓うけれども個人(主人)に対し命を預けるという発想がない。「武士(もののふ)は己を知る者のために死す」とか、「主、辱めらるれば臣死すともこれを雪ぐ」とか、日本の武士は主人に対し事あるごとに「死」持ち出す。それが「葉隠」にもある「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言われる所以であろう。武士道とはいかに主人のために死ぬか、騎士道とはいかに大義のために生きるかの違いがある。
  武士道が成熟した江戸時代265年間日本は戦もなく大部分を平和な時を過ごし、武士が武士として死を受け容れる覚悟が必要なときは切腹くらいであった。切腹とは、武士階級の自殺儀礼であって、武士の取った行動に対する最高の責任の取り方である。切腹は、平安時代の終わりころ武士が力を持ち、貴族から領土領民の支配権を奪う頃から始まったと言われている。切腹の始まりは、豪弓で知られる鎮西八郎源為朝と言われているが、その後豊臣秀吉の備中松山城水攻めで降伏した毛利側城主清水宗治の切腹があまりに見事だったことから、切腹が武士の誉れとされるようになった。
  日本人が立派な男らしい人格者に対する尊敬ぶりを表現する場合、「肚の座った人」、「胆力のある人」と言う言い回しをよく使う。これは昔、侍階級では肚を尊重する習慣があったからであろう。なぜかというと、今では考えられないことだが、頭部ではなく腹部が精神を宿す「容れ物」と考えられていたためでもある。このことは、新渡戸稲造が英語で日本文化を紹介した著作「武士道」にもそのように解説している。そのために、その精神の容れ物を開けて肚に一物(邪悪な企み)がない事を見せるため、腹を切り裂いたのであろうと言われている。切腹は名誉ある責任の取り方と言われるが、大抵は「詰め腹を切る」と表現される強制自殺という刑罰としての側面もある。
  西洋の騎士道には切腹に相当する責任の取り方はない。おそらく、キリスト教の影響を強く受ける騎士道は、自殺を禁じているからでもあるだろう。英語で自殺をすることをcommit suicideと表現するがいかにも罪悪感を感じさせる表現だ。日本の切腹は美化するほどの高尚な文化では無く、野蛮な因習にすぎず主人が家臣を死によって服従させる究極の暗黙による威圧統御の一手段なのである。誤解を恐れずいえば、西洋の騎士のキリスト教への信仰や国家への忠誠は騎士個人の自発的信条であり、敵に背を向けて逃げることなく死ぬまで戦うことはあっても誰かのために責任を取って自殺する発想はないし、騎士一人一人は本来Load(殿様)であり、自分が主人なのであっても家来ではない。サムライの語源は侍ふ/候ふ人と言う意味から来ており、目上の人物のそばに控える従者を意味する。要するに侍とは家来・家臣を主に指すが、騎士は基本的には貴族であり諸侯、殿様である。そこに武士道と騎士道の違いがある。
  幕末に、実際の武士の切腹に西洋人が検分に立ち会っていてその反応が残されている。神戸三宮事件と堺事件という慶応4年に起きたいずれもフランス兵と日本の武士のいざこざ事件の始末として、神戸事件では備前藩士が、また堺事件ではフランス兵犠牲者と同数の土佐藩士20名が切腹することになった。いずれも外国人の検分のもとに行われている。神戸事件の備前藩士は作法に則り瑞座し従容として表情も変えず腹を一文字に切り、手練れの介錯人に一刀のもとに首を切り落とされ、立ち会ったフランス人も日本の武士道に深い感銘を受けたという。
  堺事件では、20名の武士が切腹をすることになったが、土佐藩士は往生際悪く、腹を切り臓物を検視役に恨み語を言いながら投げつけ、介錯も決まらず非常に凄惨な切腹が続き、検分していたフランス公使ロッシュもいたたまれず11人目で姿を晦まし、残り9人の切腹は検分人不在と言うことで中止となり命拾いしたそうである。多分、堺事件の切腹がその野蛮な実態をよく表していたのであろう。ロッシュ公使も日本の武士道に吐き気を催したであろうことは想像に難くない。
  武士道も切腹も、一面では修養によって高い精神性を見出すことが出来るが、実態は封建体制を維持するための体制側にとっては都合の良い論理であったが、後ろ向きの文化で日本の軍国主義にも悪影響を与え近代日本を亡国に導いている。日本の敗戦直後、特攻隊を生んだ海軍大西滝次郎中将や本土決戦を主張した阿南惟幾(あなみこれちか)大将の切腹を以て日本の武士道精神と切腹の文化は終わった。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
〜武士道精神と切腹の文化〜 JH4SEHのシャック/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる