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zoom RSS 〜「精鋭無比」陸上自衛隊第一空挺団視察〜

<<   作成日時 : 2017/03/09 23:30   >>

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画像 先日ある機会を得て千葉県船橋市の習志野駐屯地に本部を置く陸上自衛隊第一空挺団を視察してきた。空挺団とは、陸上自衛隊では、方面隊、師団、旅団に次ぐ部隊編成であって、「空挺」とは空の挺身隊の意味である。日本で唯一の落下傘部隊である第一空挺団の部隊としての任務は、高い即応力を以て日本全国でのあらゆる事態に素早く対応することであって、その際侵略を受けているかまたはその脅威のある地域に、落下傘降下により等により速やかに展開して侵略を阻止・排除することだという。
  我々が視察した日は気象条件に恵まれ、当日は空挺隊員学生のC-1輸送機からの降下訓練が予定通り実施された。学生を乗せたC-1が高度1000フイート(約330m)の上周経路を飛行しながら何回かに分けて長さ約1200m、幅約700mの降下帯にパラシュート降下していた。パラシュートは円形の降下時に開さん索を輸送機にフックで繋いで降下するタイプで降下とほぼ同時に開さんしていた、着地30メートル目安で装備を地上に落下させ着地の衝撃を緩和するためだという。学生たちは上空から見れば猫の額ほどにしか見えない狭い着地帯にそれぞれほぼ中央に着地していたのには感心した。
  習志野という地名が如何にも軍隊演習場を連想させるが、実際その通りであった。自衛隊習志野駐屯地で、習志野駐屯地の沿革が説明された。それによると、明治6年4月29日、現在の習志野演習場、当時大和田原と呼ばれていた原野で明治天皇臨御のもとで近衛兵の大演習が挙行された。総指揮は陸軍大将西郷隆盛、実際の兵馬の進退を統率したのは篠原国幹(くにもと)少将であった。その篠原の指揮ぶりの見事さに感銘した明治天皇が「篠原を見習え」と言ったという逸話から「習え篠原」転じて「習志野原」となったという。この明治天皇観閲の半年後明治6年10月、征韓論に敗れた西郷は故郷鹿児島に下野するが、篠原国幹も折角の近衛長官の職を擲って西郷と共に鹿児島に戻り私学校に参加する。明治十年私学校の暴発から西南戦争に発展し、明治天皇から習志野原と褒められた篠原が天皇の政府軍に刃向うことになったことはなんという歴史の皮肉であろう。征韓論騒動で、篠原さえいてくれれば桐野利秋や別府晋介らが鹿児島に帰ったことは何ともないと天皇も感想を述べていたそうであったが、その篠原までも鹿児島に帰ったことに対する明治天皇の失望ぶりが目に浮かぶ。本来「習篠原」とされたものを、西南戦争で賊軍に奔ったため「習篠原」をあらため「習志野原」にされたのかとあらぬ詮索したが、明治6年の5月13日には早々と勅令によって「習志野原」と改名されていた。考えすぎだったようだ。
  習志野の第一空挺団は、あの有名な太平洋戦争緒戦のインドネシア、パレンバン攻略落下傘降下作戦で勇名を馳せ「空の神兵」と軍歌にも歌われた空挺部隊の後を襲って戦後できた部隊であり、「精鋭無比」を掲げて日夜訓練にいそしんでいる。自衛隊も女性の進出が目覚ましく、自衛艦艦長、パイロットにも女性が活躍しているが、この空挺団には女性は入れないという。それは、武装重装備とともにパラシュート降下で着地する衝撃の激しさによるものだという。蛇足ながら、現在女性が進出できない自衛隊任務は三つあり、他に砲兵と敵とフェース・トウ・フェースの相対で会敵する戦闘要員だと説明を受けた。生々しく敵と面と向かって格闘して殺し合うことは女性には過酷であることは理解できたが、砲兵は砲弾発射時の空気振動の衝撃が理由だという、パラシュート降下と同様衝撃はもし妊娠していた場合流産の恐れがあるからだとのことであった。
  自衛隊の訓練施設、CH47ヘリ、C130,C−1の降下訓練用胴体モックアップ、パラシュート収納作業実演等を見学した。最後に基地内の「空挺館」を見学したが、貴重な資料が展示されていて大変興味深かった。空挺館は習志野駐屯地内にある展示施設で、明治の群像を描いた司馬遼太郎作「坂の上の雲」の秋山兄弟の兄秋山好古が活躍した旧騎兵連隊の「御馬見所」(ごばみどころ:天皇皇族の馬術演習などを見ることを目的に作られた)であった明治天皇所縁(ゆかり)の建物である。四月と8月の自衛隊イベントでは一般人も見学できるので、是非一見の価値ありとお勧めしたい。
  見学後の感想として、自衛隊の空挺部隊の訓練そのものの意義は認めるが、どうか実戦で運用することがない事を望む。空の神兵と称揚されたインドネシアのパレンバン降下作戦はオランダ領で戦争のためではなく植民地支配のための治安兵力でしかない処へ、日本のように猛訓練して、相手が予想もしない奇襲作戦で緒戦の戦果を挙げて歴史的な大成功例としている一方で、同じく陸軍は昭和19年にレイテ島降下作戦では米軍の圧倒的優位の中で無謀な飛行場奪還を試みたがパラシュート部隊は全滅している。戦争の準備のできていない石油施設奇襲を大成功という評価の仕方が、真珠湾奇襲の大成功の評価と重なり日本人の甘い戦史の評価が増長を生み、パレンバンの奇襲の大成功はレイテにおける悲惨な全滅への道標であり、同様に真珠湾の奇襲の大成功は悲惨な無条件降伏の敗戦への道標に過ぎなかったことをつくづく感じた。第一空挺団第七中隊が我が市の災害支援担当部隊であり日ごろから交流もあり感謝をしているが、自衛隊が災害救助で活躍することがあっても、実際の戦闘でその訓練成果を発揮することがない事を望んでやまない。

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