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zoom RSS 〜「空気」の「空気」による「空気」の為の政治〜

<<   作成日時 : 2017/04/23 19:39   >>

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画像   山本七平の「空気」研究という本があった。今でも文庫本として根強い人気があるものと思われる。前の森友学園問題も、この「空気」によって起こるべくして起こった問題の一つである。「空気」あるいは「場の空気」といういかにも日本独特の風土性は、私の個人的な感想でいえば農耕民族特有の文化であり、良くいえば「和を以て貴しと為す」であろうが、悪く言えばこれほど無責任なことはない。和を以て貴しと為すは、聖徳太子の17条の憲法の第一条であり、日本特有の和の文化に思えるが、出典は五経の「礼記」であろう。したがって厳密には日本独特の文化とは言い難い。小人は同じて和せず、君子は和して同ぜずともいい、日本に当てはまる「和」とは多分にこの小人の「和」であることが問題だ。
   この「空気」とは、多くの日本の会議で見られ会の主宰者が会議の方向性を仕切り、トラック一杯の屁理屈でその筋論を述べ、後は根回しの済んだ採決が行われシャンシャンで会議は終わる。会議主宰者のスジに異論をはさむことを「水を差す」といって、会議の空気を乱すことになる。それは、組織に対する挑戦であり、大げさに言えば反逆者となる覚悟を要するのが日本の社会風土である。ことほど左様に、現在の右翼団体「日本会議」メンバーの総理大臣、閣僚が支配する政権の路線は戦前回帰であり、現在の為政者グループの間では暗黙の「軍国小学校実現」の空気が横溢していたところに、近畿財務局や大阪府がその空気を嗅ぎ取って行政を捻じ曲げた結果が森友学園問題だ。空気による行政の介入には誰も責任を取ることはない。ここで「空気」の例について、過去の歴史を振り返ってみよう。   
慶応3年12月、5月に徳川慶喜の我儘で四候会議は崩壊し10月に、慶喜はどうせ自分に幕政返上後の統治をあらためて頼まれるだろうと大政奉還したが、12月小御所会議でどうしても幕府だけでなく徳川家を潰したい岩倉・西郷らの画策で時代に逆行する王政復古のクーデターが起こる。この会議では、無理筋の徳川慶喜の「辞官納地」を画策するが、松平春嶽、山内容堂が頑強に反対する。大政奉還を決断した慶喜の功績を擁護する春嶽や容堂の言い分はもっともなので、「空気」は混沌としていたが、容堂が「幼沖(ようちゅう)の天子を擁して二,三の公家が権力を得ようとしているのだろう」と口を滑らせた。岩倉はすかさず、「今日の挙は宸断によるものだ、幼沖とは無礼であろう」と怒鳴り返し、以後容堂は恐懼沈黙し空気は一変に岩倉・西郷が支配するところとなり、辞官納地と王政復古が決まってしまった。この場合御所に政権担当能力がゼロの上、大政奉還した慶喜に辞官納地を求めることは目に余る処置であり、論理を無視した「空気」が異論を一切排除し共和制国家への道を閉ざした。「君臨すれど統治せず」は民主主義国英国の概念だが、日本の官僚統制全体主義国家は「君臨すれど統治させず」が明治の太政官政府以来の本質だろう。
日本が太平洋戦争に突入を決定した16年9月6日の御前会議で、生産力20倍の米国に開戦を決定したのも冷静な情勢分析と論理を無視した「空気」であった。陸軍は強硬な開戦論、海軍は開戦反対とは言え、開戦阻止の意志は無く、一方天皇は開戦反対でありながら、立憲君主制の中で叡慮を開陳することを慎み、近衛首相も反対ながら統帥権に容喙できず「開戦やむなし」の「空気」が御前会議を支配していた。結論は日米交渉が和平合意に至らなければ開戦となったがどう考えても、米国には勝てない、天皇陛下も総理大臣も開戦反対でありながら「開戦」という論理や主権者である天皇の意志さえも超越する化け物のような権力が「空気」なのである。この会議の後、近衛首相は戦争に自信が持てないと言って内閣を投げ出し、総辞職する。問題は、海軍は開戦反対でありながら、海軍が毅然として開戦反対の意志を示さなかったことは、凡将山本五十六が荻外荘で近衛に述べた「やれと言われれば、半年や一年は存分に暴れて御覧に入れましょうが、二年三年となると確信が持てません」という言葉に消極的ながら開戦支持をして「空気」を支えていることだ。
最後の例は、山本七平の「空気の研究」にも取り上げているが、昭和20年4月6日の戦艦大和の沖縄特攻も「空気」によって決まり、「空気」によって伊藤整一中将は出撃していったのである。昭和19年グアム・サイパン米軍上陸の時、戦艦大和を不沈砲台として沖縄特攻と同じ目的で出撃させる検討をした時は、護衛航空戦力なない戦艦運用は無駄死に終わるだけという検討結果で却下された経緯がある。しかし、今回はそれを承知して出撃させる「空気」があった。日吉の防空壕の中の連合艦隊司令部参謀の判断に、空気を知らない第二艦隊司令長官伊藤中将は当然の如くこの作戦には強く反対した。3000名の部下を犬死させる沖縄特攻作戦を受ける訳にはいかなかった。説得に来た連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将は「一億総特攻の魁となって頂きたい」という言葉に、伊藤中将は「死んで呉れ、と言うのだな。それなら、分かった」と直ちに作戦命令に応じたという。連合艦隊幕僚は大和を枕に討ち死にしてもらうという合理性、経済性、倫理性、論理性を超えた「空気」がサイパンでは不可だったものが沖縄では可と結論されたのだ。第二艦隊幕僚は日吉の穴に隠れている連合艦隊参謀も一緒に出撃すべきだと言ったという。戦後、この作戦の無謀を難詰する世論や論評に、最高責任者小沢冶三郎連合艦隊司令長官は、「私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疎しようとは思わない」とその時の「空気」を語っている。
この「空気」の例は枚挙に暇がないが、決定を「空気」に任せて重大な結果を導いても誰も責任を取ることも追及されることもない。それは、日本人の中に「空気」の存在を認め、小人国家村社会の問題解決の知恵と認識しているからにほかならない。日本の議決は原則「全会一致」が基本であり、「空気」の正体である。最後は「ま、皆さん御異論はあるでしょうが、ひとつ落としどころを納得して全会一致でお願いします」とか、「小異を捨てて。大局的にご判断頂き大同で団結いたしましょう」など異論を許さず、村社会の寄合そのもの「空気」が隅々まで浸透している。この「空気」を破るものは「村八分」あるいは群れから外れて「一匹オオカミ」として生きていかなければならない。日本人は自己の主体性確立に関心がなく、集団からの疎外を極端に恐れるため、「空気」を乱すこと、「KY」と言われることを忌み畏れるのだろう。この「空気」の支配が社会の底辺のみならず、政治経済のトップまで権力として作用する日本の非合理性に悪寒を感じる。

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