~ 米国通貨に見る ”In God We Trust” と政教分離 ~

画像  アメリカの貨幣や紙幣には堂々と“In God We Trust(我々は神を信じる)”と謳っているが、神とはキリスト教の神のことである。アメリカはもともと英国国教会の弾圧をうけたキリスト教清教徒が自由を求めてアメリカに渡り建国した国であるため、「神」とはキリスト教の神であることは言うまでもない。キリスト教徒とは神を神を信じることが大前提であるため、アメリカはキリスト教国家と言えなくもない。戦後日本では「政教分離」と言えば、宗教は政治にかかわってはならないことだと単純に思い込みがちだ。創価学会も世論の批判を恐れて学会と公明党の分離を強調している。
  しかし、冷静に考えてみると「政教分離」は絶対的な原則でも概念でもなく、その国の歴史や文化の中から帰着した国民の合意によるものであって国によって異なる。イギリスは英国国教会という国家宗教団体を認めていて、国家行事に英国国教会の宗教行事が公式に行われる。フランスは、社会主義国家に近く国教も宗教勢力の政治参加を認めていない。日本もこれに近いものと思われる。ドイツでは、メルケル首相はキリスト教民主同盟という歴とした宗教政党の党首である。アメリカの政教分離は、特定の教会宗派を優遇することや国教の制定を禁じているが、宗教活動の自由を憲法で保障しているため宗教勢力の政治活動が特に制限されることもない。したがって“In God We Trust(我々は神を信じる)”と通貨に書き込むことなど何の障りもないと考えている。国の伝統として神を信じることは何も特定の宗教宗派に優遇を与えているわけでもない。また大統領など要人が就任時聖書に手を置いて宣誓することは立派な宗教行為であるが、個人の信教の自由の範疇に過ぎないと考えているようだ。したがって、就任する要人がキリスト教徒でない場合は、バイブルで宣誓する代わりに、Affirmation (確約)を行う。
  日本国憲法の中の政教分離は、国教ともいえる「国家神道」が他の宗教を弾圧し、日本が軍国主義国家としての精神的柱石となり国民と国際社会に多大な惨禍をもたらした反省から神社と政治を明確に分離するために明記されたものであるが、いつの間にか宗教が政治にかかわってはならないという短絡的な発想となったのかもしれない。改めて言うまでもなく、政教分離とは本来国、家権力から宗教を守るためのものであることを忘れている向きが多い。財界団体が医師会が政権に多大な政治献金をして政治を曲げたり、労組や日教組が結社して国会に議員を送り込み政治に容喙することが許されて、なぜ宗教団体にそれが許されないのかということである。
  特に、アメリカにおいて政教分離の「教」は宗教の「教」ではなく教会の「教」である。アメリカの宗教分離原則の根拠は米国憲法修正第一条の「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない」であり、the Separation of Church and Politicsがもとになっていて、日本人が考える宗教が政治にかかわってはならないとは一言も触れておらず、それこそ結社の自由、宗教活動の自由を侵すことになる。日本の国家神道が狂信的軍国主義招いた歴史がいつの間にか風化して、羹に懲りてなますを吹いて食うがごとく、「政教分離」という言葉がいつの間にか「宗教は政治にかかわってはならない」という意味に理解され独り歩きしてる気がしてならない。

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