~世界最強の米国はなぜ北ベトナムに負けたのか~

画像  最近、私の所属する団体でベトナムの若者二名がささやかな講演会を開いた。二人は、単なる人手としてではなく、それぞれが企業で設計及び開発の仕事をしている優秀なエンジニアである。私は、その講演を前に彼らを紹介するとき、ベトナムは世界最強の米国と戦って勝った唯一の国だと称えたが、なぜ弱小なベトナムがアメリカに勝ったのかを整理してみたい。
  アメリカが、ベトナム戦争に本格的にかかわったのは1964年のことであるが、1973年パリ和平協定まで9年間戦い58000人の戦死者をだし7830億ドル当時の換算では240兆円もの戦費を費やしながら負けて撤退した。
戦争とは、自国の意志を相手国に強要することであるとドイツ、プロシアの戦史家で「戦争論」の著者クラウゼヴィッツは定義している。何回も繰り返すが、戦争とは戦闘のことではない。孫子の兵法で戦いの最上策は闘わずして勝つことであるように、外交、謀略、諜報、外交を含めて戦力を消耗せず自国の意志を通すことで戦争に勝つこともできるる。これを戦略ともいう。アメリカが全兵力を投入して本気で戦えば弱小なベトナムに負けるはずがないと思う向きは、戦争とは即ち干戈砲火を交えて戦うことだと考えている。日本が戦争に負けたのはその類の考えから抜けることが出来なかったためだ。大艦巨砲次第で戦争の勝敗が決まるとでも思っていたのが日本人であろう。軍事力に劣るベトナムは「兵は奇なり」でアメリカと戦うしかなかった。
 北ベトナムは、通常の戦闘では勝てないこと百も承知で、ゲリラ戦で抵抗したのである。これに対しアメリカは、CIAの偽装事件トンキン湾事件をでっち上げ、それを口実に北爆を開始し、太平洋戦争で日本を爆撃した爆弾以上にあの狭い北ベトナムを爆弾を投下し爆撃したがベトナム人は降伏しなかった。筋金入りの共産主義者ホーチミンは国民を励まし続けて戦ったが69年にこの世を去っている。結局アメリカが負けた最大の理由は、長引く泥沼の戦争で戦死者及び戦費の増大に加えて国内外の反戦運動であろう。これらの高まりに耐えきれずニクソン大統領は終結を模索し始め、キッシンジャーに命じてベトナム和平と中国の理解を取り付けること始める。何とか、アメリカの敗退又は撤退をは「転進」と言い繕えるように和平を北ベトナム側に持ちかけたのである。まさに日本のガダルカナル敗退を転進と言い換える大本営を連想させる発想だ。アメリカの考えは、体よく撤退すれば、そのあとすぐ北ベトナムは南ベトナムに進攻してくることは判っていたが、米軍はアメリカに逃げ帰ったのである。この和平協定には南ベトナムは頑強に反対したが、勝手なアメリカは戦争に勝てないと判断し南ベトナムを見捨てたたのである。
パリ協定では、アメリカも北ベトナムも南ベトナムから撤退することになっているが、協定など紳士協定にすぎず拘束力もない。果たして、米軍が居なくなると1975年、北ベトナムはサイゴンに攻め入り陥落させ、ベトナム共和国はこの地上が消滅したのである。そしてベトナム民主共和国が全土を統一し国名もベトナム社会主義共和国と改めサイゴンはホーチミンと名前をあらためた。
 皮肉なことに、日本は連合国に降伏する3ヵ月前にアメリカにできなかったベトナムの支配を確立したが、そのベトナムに関わったおかげでアメリカは膨大な犠牲と国費を費やし、後世に敗戦国という汚名を纏うことになった。アメリカは、朝鮮戦争でも勝つことが出来ず、ベトナム戦争は37度線を17度線に変えただけで、自国の軍事力を過信し相手を見くびるという全く同じ過ちを犯して負けている。さらに、兵法では常識の愚策、日本もガダルカナルで犯したような「戦力の逐次投入」もアメリカの対ベトナム戦争泥沼化の原因でもある。これらを鑑みると、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉を思い出す。「我々が歴史から学ぶことは、我々は歴史から何も学ばないといことである」、まさに至言であろう。

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