ふるさと大竹の「亀居城址公園」にも春が来た

画像 母のふるさと、大竹市も今では、三菱レイヨンや、ボンネル、ダイセル、日本大昭和板紙などのコンビナート(kombinat:余談だがロシア語らしい、知らなかった)が海岸線を埋め尽くしているほかは、これと言った特長も無い町だ。 しかし、結構貴重な歴史遺産は残されている。 「亀居城」と言う城跡もその一つだ。  文献によると、1600年(慶長5年)の“関が原の戦い”で西軍(豊臣方)総帥に就いた毛利輝元は中国地方10ケ国から防長2ケ国に大減封され、長門・萩に追われ、輝元の本城だった安芸広島城へは、尾張清洲から福島正則(徳川方)が安芸・備後2ケ国49万8千石余りの国主として入城した。
  正則は、関が原の戦後処理で対毛利外交を担当することとなり、毛利領に隣接する領国に6支城(三原・三次・神辺・鞆・東城・亀居)を構えることとした。  毛利領東端を領有する吉川広家が周防岩国城の築城を開始(錦帯橋で有名)したこともあり、領域西端にあたるこの大竹市小方の地に、1603年(慶長8)から5年の歳月を掛けて「亀居城」を完成させ、甥の福島正之を城代とした。(今から400年前の事だった)   しかし、亀居城は完成から僅か3年後の1611年(慶長16)、幕府の意向により破却となった。元和の一国一城令(1615)が出される4年も前のことでした。 その後、元和5年(1619)には福島正則も広島城無届け修築を理由に改易となったが、この時代の何ともお粗末な、お上のまつりごとは、滑稽ですらあるが、現在も似たようなものだ。 画像
  現在城址は、亀居公園として整備され、ソメイ吉野桜が約1、000本植えられており、市民憩いの場となっている。 又、大竹市出身の作詞家石本美由紀氏を称え、「悲しい酒」や「憧れのハワイ航路」など7つの歌碑を結んだ遊歩道が設置されている。 小高い亀居城跡に立ち、福島正則の時代に想いを馳せれば、当時、城の足元まで海が迫り、直接舟から城に上がれたそうだが、眼下に迫る瀬戸内海とそれに連なる白砂青松のなかに天守閣がそびえていたのかなどと想像が広がる。 又、当地出身の作詞家石本美由紀氏も少年時代、この海を眺め憧れのハワイ航路を作詞したのだろうか、などと思いながら周辺を散策していると、♪前の宮島衝立代わり~♪と、ご当地大竹音頭が聞こえて来た、こちらは、花より団子らしい。(笑) 画像


※ 郷土出身の作詞家石本美由紀氏「憧れのハワイ航路」石碑他多数有る。

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