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zoom RSS 〜創価学会を外から藪にらみ考察してみる〜

<<   作成日時 : 2017/09/23 17:33   >>

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画像  私は特定の宗教を信仰するほど信心深い人間ではないが、宗教には多少関心があることと、どんな宗教でもあるいは宗派でも宗教を信じてより精神のレベルを向上しようと努力している人には一定の敬意をもっている。
概して、良い人間、良い社会人、良い家庭人たらんとしている人が多い。キリスト教徒、創価学会会員などがそうである。日本人は大抵仏教徒であるが、概ねの仏教徒は無宗教に近く生活態度に仏教徒としての信仰を感じることはあまりない。ほとんど、江戸時代ごろからの檀家制度による「葬式仏教」徒であるためだろう。
  日ごろ、接する一般の人で創価学会会員である知人はたいてい学会員特有の文化なのか人当たりの良い、いわゆる円満でいい人が多い印象を受ける。世間では折伏がしつこいとか財務が厳しいとか良くない評判を耳にするが、私は会員になるように折伏されたことはない。ただし、選挙になると公明党候補者に熱心に投票を依頼されるが、支持団体ならでは当然の運動なのでとやかく言うことはない。また、依頼に対して分かりましたと返事はするが投票行動は個人の判断に由るだけだ。
  創価学会の初級の任用試験(何の任用かは知らないが)を学会委員からすすめられ、何事も勉強と思い宗教への関心から部外者ながら受けてみることにして勉強し始めてみると、創価学会の基礎的な理解が出来た。創価学会は、牧口常三郎初代会長が昭和5年に設立した日蓮聖人の教えに傾倒する信徒団体で一時は日蓮宗本山の檀家を構成していたが1990年の日蓮正宗宗門法主との檀家総代権の争いから日蓮正宗から破門され、独自の日蓮正宗信徒団体として活動している。創価学会の感心しない点は私の主観かも知れないが、他の宗教(特に他の仏教宗派)を敵視乃至は認めない偏狭さがあるように見受けられるが、彼らの観念だから勝手と言えば勝手なのだろう。創価学会の教義とは法華経と日蓮聖人の立正安国論を基本に自他ともに一生成仏を実現するとともに物カネを超越した絶対幸福を目指している。そして経典として法華経こそが国家、社会、人類を救う最高の経典であることが強調されている。本尊は阿弥陀仏や大日如来などではなく、文字曼荼羅、法華経の教えが本尊ということは理にかなっている。木で作った仏像が貴い訳ではなからだ。法華経の真理に声聞(悟りを他力で得る)か、さらに進んだ境涯として縁覚(悟りを自力で得る)するように在家で修行するのが彼らの目標なのである。彼ら会員は、人間は勤行、修行すれば一生のうちに必ず成仏できると信じている。
創価学会会員はよく10界という言葉を口にする。これも私には宗教としての目的からいえば正鵠を得ているように思える。彼らは10の境涯と言っているが、平たく言えば精神のレベルの10段階といえよう。下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界までは六道といい、ここまでは凡人の精神レベルで怒りや貪りや喜怒哀楽のある境涯である。さっきまで善人ぶっていても、足を踏まれていきなり「この野郎、何しゃがるッ!」と怒り狂って畜生のような人間の本性を現すレベルをいう。六道輪廻とは輪廻転生して生まれ変わることではなく精神的に未熟な凡人は地獄から天国までの境涯を繰り返すことをいう。六道輪廻の脱却し、声聞、縁覚の境涯に至りそして菩薩、仏の境涯になることによって人生の最高の至福が得られるとしている。六道を超える境地が声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界となり、仏界が最高の境涯となる。この六道以外の4段階を四聖といい、その六道をこえる精神レベルに到達すると地獄から天国を行ったり来たりすることなく悟りの域に入ったといえるようだ。
南無とは漢字そのものに意味はないが、命を懸けて帰依するという意味で、南無妙法蓮華経とは「命を懸けて妙法蓮華経(法華経の正式名)の教えに帰依します」との誓願を意味しているようだ。創価学会の勤行とは文字曼荼羅に向かってひたすら読誦、「南無妙法蓮華経」を唱題することらしいが、精神の向上と生きている間に成仏することに向けて努力することは良いことには違いない。もう一つ彼らの目標は、世の中の凡人の苦難や煩悩を救済解放することを建前に日蓮の教えを「弘宣流布」すること、言い換えれば学会員を増やすことが最大の学会の目標でもあるようだ。創価学会会員個々に責任がある訳ではないが、法華経、日蓮正宗も信じる人たちには有難いかもしれないが、他の宗教を否定する独善に陥ることの反省がない点が気になる。天界の境涯にあるときは信心のお蔭、地獄界にあるのは信心が足りないからだというのでは本当の宗教ではない。宗教における向上は精神のレベルを向上させることであって、その精神のレベルに見合った因果が応報しているだけである。
仏教には「仏」という一種の神様がある訳ではなく。悟りきった状態に到達した心の境地であり、すべて欲望や煩悩から解脱した状態であり、その意味では死ねば欲望も煩悩も無いので皆仏になれるが死後仏になっても何の御利益もない。生まれたばかりの赤子にも煩悩や欲がなく仏の状態だが、仏像が赤子にているはそのためだろう。地獄も天国も生きている間の境涯で、死後の世界には天国も地獄存在しない。そのことを、創価学会も説明している。悪いことをしていないのに苦難が続くのは運が悪いのではなく過去の因果のせいだと説明しているようだが、先祖の精神生活の貧困の因果が子孫に及ぶことは当然あり得るので間違ってはいないかもしれない。たとえば、親が怠け者の貧困家庭に育った子供が十分な教育をうけられず苦労するのは本人よりは過去の因果だと言える。これを書いている最中、「解散総選挙があるので今年の任用試験は中止になりました」と態々学会の知人が知らせに来てくれたが、色々勉強になったので決して無駄だったとは思っていない。これを書きながら、つくづくどんな宗教を信じても、修行を積まなければ精神のレベルは向上せず、信仰するだけでは御利益も悟りもあり得ないこと繰り返えしておきたい。とはいえ私は終生「一生成仏」はない六道輪廻組といえる。南無妙法蓮華経。
 

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